2013年8月28日水曜日

やっぱり書いてやがった


僕が10代の時から主張してきた説が正しい事が証明された。

http://www.afpbb.com/article/life-culture/culture-arts/2964374/11252905

サリンジャーの未発表作が世に出る。

1965年の「ハプワース16,1924年」を最後に表舞台から姿を完全に消した小説家サリンジャー。隠遁生活は、山奥の家を2メートルの塀で取り囲むという徹底した世捨て人ぶりだった。
「時間をかけて長編を書いているに違いない」「もう文章なんか書くのに飽きたのさ」「富も名声も手に入れて、優雅に酒飲んで暮らしてるんじゃないの?」
人々は様々な憶測をささやき合った。しかし新刊の発表も、何かの賞を貰ってのスピーチも何も無いまま、本当に!何も無いまま何十年という時が流れ、いつしか彼の話をする人など一人も居なくなった。

1990年代に思春期を迎えた僕は、彼の作品を貪るように読んだ。
難解な言葉と彼独特の世界観は、最初こそ僕を戸惑わせたが
時折、ふと、僕の精神と彼の精神が寄り添うような奇妙な素敵な感覚を覚えたものだ。

僕は友人に話した。
「彼は今も書いてるぜ。きっと。」
「んー、もし書いてたとしても、ここまで出てこないんじゃ
 誰かに読ませる気はないんじゃないの?若しくは自分が外に出せるレベルのものが
 もう書けなくなったんじゃないの?」
「いや俺には分かる。彼が死んだら絶対に未発表作が世に出る筈だ。それもきっと
 ひとつやふたつじゃないぜ」

2010年、サリンジャーの訃報が伝えられた。期待して待っていたが
遺構や未発表作のニュースは全く無かった。

「ひょっとして…」僕は少し寂しいような、肌寒いような気持ちを覚えた。
秋の風を最初に肌が感じた日に体験する、あの感覚だ。
バナナフィッシュにうってつけの日、コネティカットのひょこひょこおじさん、大工よ屋根の梁を高く上げよ、フラニー…
まさか、あれだけの僕が好きな作品達を書いた人が、そんなに前に創作を辞めていたなんて…


しかし、もう大丈夫。やはり僕の直感は当たっていた。何の根拠も無く友人の前で言い張った面目も保たれた。本当に、何であの時の僕は迷いも無くそう思い、人前で断言まで出来たんだろうと思う。直感という言葉では何だか足りない。精神の結びつきというか何と言うべきか。こういう時にドンピシャで言葉を見つけられる人はすごいと思う。
どうやら僕は小説家にはなれそうもないな。






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