2012年8月17日金曜日

ハンマーが振り下ろされるべきは

「いじめ」という言葉を使うようになったのはいつからだ? 1979年に小学校に入学したときには 多分そんな言葉は誰も使ってなかったような気がする。 中学校に進学し、素直で真面目だった友人達が不良になり始め 先輩達に取り込まれてタバコを吸い始めた。暴力沙汰も耳にした。 世間では積木崩しや家庭崩壊といった言葉が蔓延していた時代だ。 経済は発展し、消費は尊い事だとされた。真面目はかっこわるく ネアカは素敵な事だとされた。MTVが放送され、歌詞も分からないのに こぞってみんな洋楽を聴き始めた。 あまり容姿のよろしくないクラスの女子の一人が「マドンナ」と呼ばれ始めた。 誰かが悪ふざけで呼び始めたのだ。 その子意外にも学年の何人かが「マドンナ」の称号を手にした。 彼女達は汚いモノとして席替えのときも忌み嫌われ、善意で拾った消しゴムも 渡した相手から指でつままれる様に受け取られる事になった。 無視やシカトが日常の風景で 食事のときも自然と集まるようになり いつのまにかマドンナ4人衆として認知されるようになった。 誰が言い始めたのかは今となっては全く分からない。だが ケガレの感覚というものは伝染する。 僕の小学校時代からの知り合いもその4人衆の一員をなしていた。 彼女に対して積極的に何かした訳ではないが、自然と話す事も接する事も減っていった。 何しろ思春期の男子中学生なんて性欲に衝き動かされて 楽しい事と奇麗なものとロックンロールにしか興味が無いのだ。 博愛の精神なんかずっと教室の引き出しの中に入れっぱなしだった。 彼女達に僕が出来るのは話しかけられたらなるべく誠実に答えるくらいしかなかった。 かくして僕は傍観者の一員となったのだ。 でも身体的に何か危害を加えられている様にも見えなかったし、彼女達は毎日きちんと学校に来ていた。 先生に何とかしてもらおうとも思っていないようだった。 そもそも学校になんとかしてもらおうという気持ちは多分生徒全員持ってなかったと思う。 これは僕らの問題なのだから。 彼女達は僕が入った高校には一人も来なかった。だから彼女達がどんなその後を送ったのかは知らない。 中学時代と同じ様にひっそりと息をひそめ、嵐が去るのをただ待つ農民の様に過ごしたのか 僕なんかとは比べ物にならないくらいハッピーな煌めく高校生活を送ったのか… 高校2年の時に久しぶりに見かけた彼女は色白ですっとしたとても奇麗な女性になってて はっとしたなあ。あれはモテる娘だと思った。 期間が区切られてる閉鎖的な集団の中での問題は、大抵時間が解決するんだとその時思った。 僕の経験則。そしてその当時の僕に、もっと出来る事が有っただろうと言いたい気持ちも有るが 具体的にどうすれば良かったという方法は未だに見つからない。何かをして事態が悪い方に動いた可能性だって 確かに有るのだ。中学生とはそんな年頃なのだ。 みんな仲良くしなさい!って言われて全員「はーい!」って、世の中そんなに単純じゃない。 集団の中のヒエラルキー、虚栄心、集団ヒステリー、要素はたくさん有る。 イジメは起こる。普通に有る。有るのに無いと言うのは世の中を歪める第一歩だ。 無いと言ったら何かを隠さなきゃならなくなる。隠してくれるんなら、やっていいんだ。 以下ループ。どんなに自制心や道徳観を当てにしても、そういうのするやつには やっちゃダメの基準線をブラしてはダメだ。つけこんでくるぜ。