2011年11月7日月曜日

手塚ブッダ


手塚治虫のブッダを読了。
釈迦の生涯を書いた本は今までにも何冊か読んでいたのだが
史実とかこだわらずに物語として楽しむべき物だと思った。
敬虔な仏教徒は連載当時カンカンに怒ったそうだが
そんなのはブッダの教えと相容れない。

ほぼフィクション、痛快アクション! ときどき実話。

ってキャッチを頭の中で勝手に付けて楽しむべき物だ。
そもそも現在に伝わる釈迦の史実が実話かどうかなんてのも
かなり怪しい話だし、検証の手段も限られているのだ。

僕の久しぶりの手塚体験は
手塚絵の強烈な力を再確認する事にもなった。
彼特有の線で描かれるキャラクター達は
それぞれが愛らしく魅力的だ。
幼少時のタッタなんて
僕がもしもお母さんだったら一生愛して止まないだろう。

物語全体を通して語られるのは手塚の宇宙観に裏打ちされた
「生命や魂は不滅の物で、現世の肉体は只の入れ物である」
という概念から導きだされる

死に執着するな

というメッセージだ。

「無理すんなよ」と言いながら仲間を助ける為に蛇に飲まれて行くタッタ。
「さァなら」と言いながら虎に食われるダイバダッタの兄貴分の狼。
「すぐおなかいっぱい食べさせてやるニャ」と言いながら狼に食べられるアッサジ。

彼らはみんな執着を持たずに悟った顔でその生涯を終えようとする。
そしてそれらの行為は、まずナラダッタに衝撃を与え、長い時間と気の遠くなるような様々な出来事を経過して
ブッダの悟りへとつながって行く。
ウサギが焚き火に身を投じるエピソードが物語の最初と最終盤に扱われている事からも、このテーマを手塚がブッダを通して一番伝えたかったメッセージと見てよいだろう。
また、ブラフマンやコスモゾーンなどの宇宙観は
「火の鳥」にも貫かれているこの時期に得意としていた手塚節でもある。

古本で最初に三巻まで買ってきて、ぼちぼち揃えようとしていたのだが
息子、娘、嫁まで続きを読みたがるようになり、途中から古本が見つからないので新品を買うはめに。
単行本化する際に大幅カットされたという悪魔とのからみも読みたいところだ。
長期連載だったために、話の筋がブレてしまったのだろう。
後半と連載開始時のテンションの違いも結構有るけど、そんなの昭和のコミック世代なら慣れっこだし。柔道漫画が野球漫画になっても全然オッケーだし。
今この文体だってブレてるし。

一番面白かった家族の感想は、娘の「最初、何か、ブッダ寝そべってるばっかりで好かーんって思った」です。
そういえば偉人の像で寝そべってるのって他に居るのだろうか?この人くらい?

そうか!ゴロゴロ寝転がってるのは何も悪くないんだ!
ああ、宇宙の神よ、私は今悟りました。寝転がってていいんですね!
とても幸せな気持ちです。花びらも降ってきました。私はこの真理を
あらゆる身分を問わずに世界中のみんなに説いて回りたい。みんなを苦しみから解き放つ為です。
しかし、寝転がってていいという教義を歩き回って説いても説得力が無いなあ。
寝転がりながら布教できる方法を考えなきゃ。寝転がりながら。